見てしまった者として
晴天ばかり続いてても、朝露がついてます
太陽が顔を出して、間もない時間の楽しみ
なぜ、カンボジア?
世界にたくさんの国がある中、なぜカンボジアの子ども支援をしようと思ったのか?
アンコールワットで有名なシェムリアップを訪れたとき、世界遺産の素晴らしい遺跡に感動し ました。
その壮大な遺跡には、絵葉書やアクセサリーを売るこどもたち。手作りのかわいいブレスレットは3つで1ドル。親が作り、子どもに売らせる。子どもに売らせたほうが、観光客が買うからなんでしょう。私も、買いました。お金をあげようか?失礼だよね。でも、かわいそうと、自問自答しながら、次の遺跡へ向かい、また絵葉書売りとアクセサリー売りの子どもたちに会う。
案内してくれるガイドさんに、どうしたらいいのか聞いてみたけど、無言でした。日本語を猛勉強し、ガイドさんになった努力家のガイドさん。自国の子どもたちの現実に心を痛めながら、観光客の私にどう返事したらいいのか、困ったのでしょうか。ガイドは国家資格で、全員クリーム色のワイシャツに黒のズボンをはいてます。英語、フランス語、中国語、韓国語など、1人いくつも言葉を習得し、案内していました。努力すれば、貧困から脱出することも可能。実際、日本語を学び、お土産屋さんで働いてる人もいました。
でも、努力するきっかけを見つけることは難しい・・・
早朝から自転車こいで通学するのは、校舎が足りず、学校が二部制だから。
登校拒否など、存在しないのです。
いきいきした顔で、延々続く悪路をこいでいく姿を見ると、学校に通うことが楽しいのだとわかります。
現実に見てしまった者の責任として、このまま何もしないで過ごしていいのかと、これまで以上に考えました。実際に行動にうつして、活動されている方と知り合えて、自分にできることは
何か?彼女の原動力は何なのか?
来月が、楽しみです。
アロン・スオスダイ(おはようございます)